ある日、獣を拾った

エピソード02

Gravatar#02


「お嬢様、何かございましたか?大きな音がしたようで…」

「……ああ、何でもないの。心配しなくていいわ。お風呂も終わったから、そう伝えてちょうだい」

「はい、お嬢様。何かありましたら、すぐにお呼びくださいませ」

外にいた侍女を下がらせると、再びその男へと視線を戻すお嬢様。

「ずっとこの姿でここに居させるわけにはいかないわ。しかも、成人男性だなんてなおさらよ」

「なぜでしょうか?」

「私は今、結婚適齢期の令嬢で、すでにデビュタント(貴族の娘が舞踏会に参加し、婿候補を探す場)にも出ているの。そんな立場で見知らぬ男と一緒に過ごしているなんて知られたら、家門に大きな傷がつくわ」

「では、人前では動物の姿でいましょう。それなら問題ないでしょうか、お嬢様?」

悪くはない提案だった。人前では猫の姿を保つなら問題ないかもしれない――そんな考えが脳裏をかすめ、お嬢様はくすっと笑いながら彼の頭を撫でた。

「ええ、それでいいわ」

「本当ですか?本当にお嬢様と同じ部屋で過ごしてもよいと?」

「そうよ。ただし、人の姿は私の前だけ。他の人の前では絶対に駄目。いい?」

「はいっ、お嬢様!!」

次の瞬間、彼は彼女を思いきり抱きしめた。押し返す間もなく、首筋に頬を擦りつけ、両頬へ何度もキスを落としていく。その力は強く、お嬢様は壁際まであっという間に押し倒され、ベッドに身体を投げ出されてしまった。唇の痕が至るところに残され、整えていた前合わせもまた乱れてしまう。

「ちょ、ちょっと…!なにしてるのよ…!」

Gravatar

「どうしてです?さっき、お嬢様も私にこうなさいましたよ?」

そう言って彼は再び唇を重ねてきた。思考が追いつかず、腕の中でもがいても逃げ出せない。まるで暴走機関車のようにキスを浴びせてくるその動きと、くすぐったい彼の唇にお嬢様の頬は再び真っ赤になった。

「そ、それはあなたが猫の姿だったからで…今は違うでしょ…!」

「僕は気持ちがよくて、もっとしたいだけなんですが。人間同士では、こういうことは駄目なんですか?」

「駄目じゃないけど、人間同士のキスは、愛し合う恋人同士がするものなのよ。こんなに無理やりじゃなくて…」

Gravatar

「じゃあ、お嬢様。僕の恋人になってください」

彼の目が深く、吸い込まれそうなほどだった。両腕で左右を塞がれ、もうこの男からは逃れられない。

コンコン

その時、ドアをノックする音が聞こえた。反射的に彼を押しのけ、乱れた服を慌てて整えるお嬢様。

「お嬢様、準備のお手伝いをいたします。中へ入ってもよろしいでしょうか?」

「え、ええ、ちょっと待って。5分だけ時間をちょうだい―!」

我に返ったお嬢様は、浴槽周りを急いで片付けた。その様子をじっと見つめる彼。

「お嬢様、動物の姿に戻りましょうか?」

「そうね、もうすぐルシアが入ってくるわ。早く猫に戻って」

「かしこまりました」

再び黒猫に戻った彼。こうして見ると随分と小さい…。あの男とこの猫が同一だなんて、まったく信じがたい。

支度を終えると、待機していたルシアを部屋へ入れた。

「お嬢様、今回の舞踏会には、前回お会いしたテルト公爵もいらっしゃるそうですよ。しっかり準備しないとですね~」

「そうなのね。お願いね。髪飾りはこれで」

「はい、お嬢様。にしても、その猫…とてもお嬢様になついてますね~」

「そ、そうかしら…ルシアのおかげね、きっと上手に手当てしてくれたからよ」

「お褒めいただき光栄です。ただ薬を塗って包帯を巻いただけでございます」

膝の上の猫からは、ぽかぽかと温かさが伝わってくる。無意識に撫でると、気持ち良さそうに足を彼女の腿に乗せてべったりくっついた。

「ゴロゴロ…」

「まあ、気分が良いようですね。お嬢様のことがとても気に入ったのでしょう」

毛が触れるたびにくすぐったくて、自然と笑みがこぼれてくる。ドレスに着替えるため、彼をそっとベッドの上に乗せて服を脱ぐと、慌てた様子で布団に顔を埋める猫だった。

……恥ずかしいって気持ちはあるのね。私も気をつけないと。

ドレスのコルセットを締め直す。毎回だけど、これを着るたびに息が苦しい。けれど、鏡に映る姿はなかなか悪くない。ルシアの腕前はやはり侍女の中でも最高だわ。満足。

「お嬢様、公爵様がお見えです。」

メイドたちの手を借りて屋敷の外に出ると、前回の舞踏会で出会った公爵が馬車を停めて待っていた。見送りに出てきた両親や使用人たちも驚いた様子だった。今まで誰もこんなふうに直接迎えに来たことはなかったからだ。前回の舞踏会以来、公爵はお嬢様にかなり好意を抱いているようだった。

「ご一緒しましょう。お出ましになるまでお待ちしておりました。」

「公爵様が直々にお越しくださるとは、光栄ですわ。」

形式的な挨拶だった。内心ではさほど嬉しくなかったが、貴族としての品位は守らねばならなかった。無理に微笑みを浮かべて応じると、いつの間にか、毛を逆立てて鋭い目つきで公爵を睨みつけるあの黒猫がそこにいた。

「グルルル...」

お嬢様と初めて出会った時と同じように、尻尾を立てて毛を逆立て、彼女のそばを離れようとしなかった。仕方なくルシアに目配せをすると、彼女はすぐにそれを察し、猫をひょいと抱き上げた。さすがルシア、察しが早い。

公爵のエスコートで馬車に乗り込み、家族に手を振る。そういえば、あの猫の名前すら知らなかった。舞踏会から戻ったら、名前を聞いてみよう。

「以前お召しになっていたドレスも見事でしたが、今日のドレスも非常にお似合いですな。」

「ありがとうございます。我が家のメイドの腕が良いのです。」

「あなたのご容姿もまた...本当に美しい。」

馬車が走る中、公爵は突然顔を近づけ、彼女の頬を手の甲でゆっくりとなでた。なんという無礼な行為。相手が公爵だろうと、自分の体に勝手に触れたことが許せず、彼女は即座にその手を払いのけた。

「おやめください。無礼ですわ。」

「は...?」

ちょうどそのとき、御者が到着を告げ、馬車が止まった。公爵の声色は苛立ちを帯び、眉間には深い皺が寄っていた。

「私も不快ですわ。舞踏会場までは別々に向かいましょう。」

「今、私を拒絶したのか?」

「拒絶ではなく、公爵様が私に無断で...」

「よくもまあ、公爵に対してそんな口のきき方を。そんなことをすれば、あなたの立場が悪くなるだけですよ?」

「きゃっ!!」

後ろからお嬢様の手首を強く引っ張る公爵。その手にはもう赤く跡が残っていた。

「痛い...」

「明日、あなたの家に求婚に行きますよ。」

「な、なんですって...?」

「ご両親も公爵家との結婚なら喜んで賛成するでしょう?未来の私の妻。」

「この変態...っ!痛っ!!」

今度は手首に激しい痛みが走る。あまりにも強く握られていて、振りほどくことができない。こんな男と結婚するくらいなら、一人で生きたほうがマシだ。どれだけ地位のある家でも、こんな人間とは絶対に結婚できない。

「お嬢様、ご公爵様がお見えになりました。」

侍女たちに支えられながら屋敷の外に出ると、先日の舞踏会で出会ったあの公爵が馬車を停めて待っていた。見送りに出てきた両親や侍女たちも、まさか公爵が自ら迎えに来るとは思わず驚いた様子だった。どうやら先日の舞踏会で、彼はお嬢様のことが相当気に入ったようだ。

「ご一緒にいかがですか? 出てこられるまでお待ちしておりました。」

「公爵様がわざわざお越しになるとは…嬉しゅうございます。」

これは社交辞令だった。内心はあまり乗り気ではなかったが、貴族の品位を保つためには微笑むしかなかった。無理に笑顔を作り、愛想よく振る舞っていると、いつの間にか黒猫が毛を逆立て、公爵を鋭い目つきで睨みつけていた。

「グルルル…」

初めて出会った時のように、尾を立てて毛を逆立てながら彼女のそばを離れない。仕方なくルシアに目配せすると、彼女はそれを察して黒猫をひょいと抱き上げた。さすがルシア、以心伝心だ。

公爵のエスコートを受けて馬車に乗り込み、家族に手を振った。猫……そういえば名前もまだ聞いてなかった。舞踏会が終わったら聞こう。

「以前お召しになっていたドレスも素敵でしたが、今日のドレスも大変お似合いです。」

「ありがとうございます。うちの侍女の腕が良いもので。」

「あなたの容姿も…実に美しい。」

移動中、公爵はいきなり顔を近づけてきて、彼女の頬を手の甲でゆっくり撫でた。なんという無礼な行為だ。彼が公爵だろうと、勝手に体へ触れてきたその行為に怒りが込み上げ、彼女はとっさにその手を振り払った。

「このような振る舞いは困ります。手を出さないでください。」

「はあ…?」

ちょうどその時、御者の「到着しました」という声が聞こえ、馬車は止まった。公爵の語尾は不快そうに上がり、眉間には深い皺が寄っていた。

「私も気分を害しました。舞踏会会場までは別々に参りましょう。」

「俺を拒絶するつもりか?」

「拒絶というより、公爵様が私の身体に勝手に――」

「貴族に向かって口答えとはな。こうなると不利になるのは君の方だと、わかっているのか?」

「きゃっ!!」

後ろから彼女の手首を強く引っ張る公爵。その手首にはすでに赤い痕が残っていた。

「痛っ…」

「明日には君の家へ伺おう。婚約の申し出にな。」

「な、なにを…?」

「君の両親なら、公爵家との縁組なら大歓迎だろう? 未来の私の妻よ。」

「頭がおかしいのでは…!? 痛っ!」

今回は手首に強い痛みを感じた。あまりにも強く掴まれ、振りほどくことができない。こんな男と結婚するぐらいなら、一人で生きた方がましだ。いくら公爵家でも、このような男とは絶対に結婚できない。

「これ、置いて…」

「すぐに私と結婚するって言って。今すぐに!!!」

「いやだ… あなたのような人と結婚するなんて、正気じゃない…」

ガシャン-

その瞬間、彼から逃れ、誰かの腕に抱き寄せられた。

「…?!お前…!!」



「お嬢様、目を閉じてください—」

そう言うと、彼は自分の手でお嬢様の目を覆い、その公爵を足で蹴飛ばした。視界が遮られる直前、彼女は彼の目を見た。その目はすでに焦点を失い、瞳がぼやけていた。目を覆われただけで、彼女の顔のほとんどが隠された。彼女が見たくなかった公爵の不潔な表情も、彼女の目には映らなかった。

「お嬢様、さっき部屋で準備していたのは、こんな場所に来るためだったのでしょうか?」

「…」

「とりあえず、静かな場所へ行きましょう。」

どうしてこんなに歩くのが早いのか、彼の速さについていけず、彼女は必死に歩こうとしたが、彼は彼女がついていけないのを見て歩く速度を遅くした。きつく締めつけられたドレスのせいで少し歩いただけで息が切れた。最終的にはそれ以上進むことができず、街灯の下のベンチに腰を下ろした。その前に、彼は膝を立ててしゃがみこんだ。

「ここまでどうやって来たの…?」

「お嬢様が出発した時、お嬢様の香りを追ってきました。嗅覚には自信がありますから。」

「本当に…すごいね。」

彼女の太ももに顔をすり寄せると、緊張が解けたのか、小さく笑いながら彼の頭を優しく撫でた。しばらく彼をじっと見つめた後、彼は突然立ち上がり、彼女の腰に自分の腕を回した。

「今、何をしてるの…!」

「お嬢様がかなり窮屈そうだったので、何かできることがないかと思いまして。」

そう言って、彼は必死にドレスのきつく結ばれた紐を解こうとした。本来なら、こうした結び目はひとつひとつ解くべきなのだが、彼が考えた可愛らしいやり方でその結び目を解こうとする様子に、思わず彼女はクスッと笑ってしまった。

「この結び目はかなりきつく結ばれているから…多分、解けないだろうけど…」

パチン-パチン-パチン

…結局、力づくでその紐を引き裂いた、力強い猫だった。

紐が引き裂かれた瞬間、解放感と呼吸が楽になった心地よさを感じた。彼の驚いた顔と行動に、彼女はつい笑いがこぼれてしまった。

「ははは、結び目が解けないから、結局引き裂いたんだね!」

「すみません、お嬢様…ただ、お嬢様を楽にしてあげたかっただけで…」

「大丈夫、あなたのおかげでやっと息ができるようになったわ。でも…」

その瞬間、彼女は再び彼が寒さにさらされていることを心配し始めた。寒くて、風も強いから、このままでは風邪を引きやすいだろう。

「寒くない?こんな格好で歩いていると、風邪を引いちゃうよ…」

「今までずっとこうして生きてきたので、大丈夫です。」

「それじゃダメよ。明日は服屋さんに寄らないと。」

「服屋さん?そこは何をしているところですか?」

「服を作ってくれるお店よ。あなたにぴったりの服を作ってあげる。少なくとも人間の姿でいるときは、ちゃんと服を着ないと。」

「お嬢様…」

その言葉に、彼は感情が溢れたのか、突然彼女を抱きしめた。彼女が自分に服をくれるという事実、いや、服そのものよりも、彼女が自分のために何かを考えてくれて、何かを作ってくれるということが、彼にはとても嬉しいことだった。彼女の首筋に顔を埋めると、いつものように彼女は優しく彼の頭を撫でてくれた。

「そういえば、まだあなたの名前を知らないわね。名前は何なの?」

「名前を教えてくださったら、その名前で呼んでくれますか?」

「もちろん。誰かを呼ぶ時は、その人の名前を呼ぶべきでしょう?」

「…」

またその瞳だ。まるで引き込まれてしまいそうな、深い瞳。あの部屋のベッドで見たあの瞳と同じだ。この子と一緒にいると楽しい。この子と一緒にいると、周りが明るく清々しい気分になる。彼がそばにいるのは、幸運ではないか。

…早く彼の名前を呼んでみたい。



「私の名前は…テヒョンです。」

「…テヒョン。」