「この場所、どこだろう……。」
祖父のスケッチを机に広げる。
海でもない。
学校でもない。
描かれていたのは、小さな石橋と、
その先に続く坂道。
右端には、大きな木。
そして裏には、一言だけ。
『夢の続きは、ここで。』
「祖父も場所までは教えてくれませんでした。」
奕翔はスケッチを見つめながら言う。
「でも、この木には見覚えがあります。」
「本当に?」
「たぶん……台南です。」
翌朝。
二人は新幹線に乗り、台湾南部へ向かった。
車窓から見える景色は、台北とはどこか違う。
ゆっくりと流れる時間。
広い空。
「台湾って、こんなに表情が違うんだね。」
「僕も好きな街なんです。」
そう言って笑う奕翔の横顔を、
私は少しだけ長く見つめてしまった。
地図を片手に歩くこと一時間。
ようやくスケッチと同じ石橋を見つける。

「ここだ……!」
思わず駆け出した、その時。
石畳に足を取られた。
「きゃっ……!」
身体が前へ傾く。
その瞬間。
ぎゅっ。
「危ない。」
奕翔が、私の手を掴んだ。

強くもなく、弱くもない。
でも、離したくないと思ってしまうくらい温かい手。
「……ありがとう。」
「ごめん。」
「え?」
「びっくりさせましたよね。」
私は首を横に振った。
「ううん。」
本当は。
心臓がびっくりしていた。
橋を渡った先には、小さなアトリエがあった。
今は誰も住んでいないらしく、窓には「保存建築」の札が掛かっている。
中には昔の画材やイーゼル。
そして壁には、一枚の写真。
若い頃の二人の祖父が並んで立っていた。
その写真の裏には、日本語で書かれた一文。
「いつか、子どもたちが自由に絵を描ける場所をつくろう。」
私は思わず息をのんだ。
「ここが夢の場所……。」
奕翔が静かに呟く。
「誰でも絵を描ける場所をつくること。」
祖父たちは、そんな夢を抱いていた。
でも。
戦争が、その未来を奪ってしまった。
夕方。
アトリエを出ると、空は茜色に染まっていた。
私はさっきまで握られていた右手を見る、
もう手は離れている。
なのに。
まだ温もりだけが残っていた。
「どうしました?」
奕翔が不思議そうに聞く。
「え?」
「ずっと手を見てるから。」
私は慌てて笑う。
「ううん、なんでもない。」
すると奕翔も少しだけ耳を赤くして、小さく笑った。
「……僕もです。」
「?」

「まだ、温かい。」
その一言だけで。
夕焼けよりも顔が熱くなった。
ホテルへ戻る途中。
二人は何も言わずに歩いた。
でも、不思議と沈黙は気まずくなかった。
言葉がなくても、一緒にいるだけで心地いい。
そんな距離に、いつの間にかなっていた。
