
決勝戦当日の朝。
イハンはいつもより早く目を覚ました。
まだ日が完全に昇る前だったが、眠気は来なかった。
今日の試合が終われば、大会も終わる。
そして昨日、リウが言っていたことも思い出した。
決勝が終わったら、話したいことがある。
イハンはしばらく天井を見つめてから、スマホを確認した。
リウからメッセージが来ていた。
起きた?
イハンはすぐに返信した。
はい。先輩は?
俺も起きた。足首は大丈夫。
嘘。
今日は本当に大丈夫。
それならよかったです。
しばらくして、またリウからメッセージが来た。
イハン。
はい。
今日は緊張するな。
イハンは少し考えてから返した。
先輩がいれば、緊張しない気がします。
数秒後、返信が来た。
俺もお前がいれば大丈夫な気がする。
イハンはその文をしばらく見つめ、それからスマホを置いた。
そして小さく笑った。
競技場に着くと、決勝戦らしく熱気に満ちていた。
観客席は両チームを応援する生徒たちでいっぱいで、競技場の周りには大会関係者も集まっていた。
リウは足首のせいで今日も出場できなかった。
だがベンチで選手たちのコンディションと相手チームの戦術を確認していた。
イハンが近づくと、リウが言った。
「今日が最後の試合だな。」
「はい。」
「緊張してる?」
「少しです。」
「嘘。」
「なんでですか?」
「お前、緊張すると話が多くなるだろ。」
イハンは吹き出した。
「先輩って、本当に俺のことよく知ってますね。」
「最近、少し分かってきた気がする。」
「じゃあこれも分かります?」
「何だ?」
イハンは少しリウを見つめてから言った。
「俺、今日どうしても勝ちたいです。」
リウが笑った。
「俺も。」
「それに試合が終わったら話があるんですよね?」
「うん。」
「逃げちゃダメですよ。」
「逃げない。」
「本当ですか?」
「本当。」
リウが手を差し出した。
「約束。」
イハンもその手を取った。
「約束。」
試合が始まった。
決勝戦らしく、序盤から激しかった。
相手チームはイハンを集中的に止めにきた。
二人、多いときは三人がイハンを追いかけた。
だがイハンは焦らなかった。
ボールを持てば周囲を確認し、チームメイトにつないだ。
前半20分。
うちのチームが攻撃のチャンスをつかんだ。
イハンがサイドでボールを受けた。
ディフェンダーが二人、飛び込んできた。
イハンは突破する代わりに中央へパスした。
チームメイトが再びイハンにボールを返した。
その瞬間、イハンの目にゴール前の空いたスペースが入った。
シュート。
ゴール。
1対0。
観客席から歓声が爆発した。
イハンはすぐにベンチを見た。
リウが席から立ち上がり、両手を大きく掲げていた。
イハンも笑った。
そして口の形で言った。
見ましたか?
リウはうなずいた。
よくやった。
だが後半が始まると、試合の流れが変わった。
相手チームの攻めが激しくなった。
後半10分。
ついに同点ゴールを許した。
1対1。
そして間もなく、もう一度カウンターを食らった。
1対2。
試合終了まで15分。
イハンは息を切らしながら周囲を見回した。
チームメイトたちも疲れ切った様子がはっきり見えた。
ベンチからリウが叫んだ。
「イハン!」
イハンが顔を上げた。
「まだ終わってない!」
「はい!」
「準備した通りにやれ!」
イハンはうなずいた。
だが心は少しずつ揺れていた。
今度こそ、本当に負けたらどうしよう。
その時、リウがまた叫んだ。
「イハン!」
イハンはベンチを見た。
リウが笑っていた。
「俺を信じろ!」
その言葉に、イハンも笑った。
そしてまた前へ走った。
試合終了5分前。
イハンにボールが入った。
ディフェンダーが三人、飛び込んできた。
イハンは一瞬、昔の自分ならどうしたかを思い出した。
一人で突破し、一人でシュートすること。
だが今は違った。
イハンはボールを後ろへ戻した。
チームメイトが受けた。
もう一度パス。
そしてイハンが空いたスペースへ入った。
「イハン!」
パスが入った。
イハンはシュートしなかった。
横から走ってきたチームメイトへボールを流した。
シュート。
ゴール。
2対2。
競技場は再び沸いた。
イハンは息を切らしながら笑った。
そして今回も真っ先にリウを探した。
リウは拍手をしていた。
だが今回は、その表情が少し違った。
目元が赤くなっていた。
試合終了1分前。
両チームとも最後の力を振り絞っていた。
延長戦が目前だった。
相手チームの攻撃をうちのチームが防いだ。
ボールがイハンに渡った。
イハンは前へ走った。
相手ディフェンダーが一人。
二人。
三人。
前にはゴール。
横にはチームメイト。
そして後ろには誰もいなかった。
イハンは一度止まった。
その時、遠くからリウの声が聞こえた。
「イハン!」
イハンが顔を上げた。
リウが手で合図していた。
信じろ。
イハンはそのまま走った。
最初のディフェンダーを抜いた。
二人目をかわした。
三人目が体を寄せてきた。
イハンは一瞬、バランスを崩しかけた。
だが最後まで耐えた。
そして最後の瞬間。
ゴール前にいたチームメイトへボールを預けた。
チームメイトがシュートした。
ゴール。
3対2。
笛が鳴った。
試合終了。
選手たちが一斉にフィールドへ駆け込んできた。
誰かが叫び、誰かが互いを抱きしめた。
イハンもしばらくその場に立っていた。
信じられなかった。
本当に終わった。
そして真っ先に浮かんだのは、やはりリウだった。
イハンはそのままベンチへ走った。
「先輩!」
リウも笑って立ち上がろうとした。
だが足首に力が入らず、一瞬ふらついた。
「先輩!」
イハンが急いでリウを支えた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。」
「本当ですか?」
「うん。」
イハンは安堵の息をついた。
そして笑った。
「勝ちました。」
「うん。」
「俺たち、勝ちました。」
「知ってる。」
リウが笑って言った。
「お前、本当によくやった。」
イハンはその言葉を聞くと、なぜか目頭が熱くなった。
「先輩。」
「うん。」
「俺、よくやりましたよね?」
「うん。」
リウがイハンの肩をつかんだ。
「誰よりもよくやった。」
イハンはその言葉を聞いて笑った。
表彰式が終わって。
選手たちが一人、また一人と宿舎へ戻った後も、イハンは競技場に残っていた。
リウもベンチに座っていた。
周囲は静かだった。
数時間前まで人で埋まっていた競技場が、嘘のように閑散としていた。
イハンはリウの隣に座った。
「先輩。」
「うん。」
「もう言ってください。」
リウが笑った。
「覚えてたんだ。」
「もちろんです。」
しばらく沈黙が流れた。
リウはしばらくグラウンドを見つめてから、ゆっくり口を開いた。
「最初は、ただいい後輩だと思ってた。」
「はい。」
「でもその次は、うまい選手だから気になって。」
「はい。」
「それから、いつの間にかお前が見えないと変だし、誰かと一緒だと気になるし、お前がケガしたら、自分がケガした時より心配で。」
イハンは静かにリウの言葉を聞いた。
「そして、お前が別の学校に行くかもしれないって聞いた時、初めて分かった。」
リウがイハンを見た。
「お前が去ることを考えるだけで嫌だって。」
イハンの目が揺れた。
リウは小さく笑った。
「だからずっと言い訳ばかりしてた。主将だから、チームのためだから、お前が惜しいから。」
少し息を整えて言った。
「でももう、そんな言い訳はしない。」
イハンが慎重に尋ねた。
「じゃあ今は?」
リウがイハンをまっすぐ見た。
「好きだ。」
短い一言だった。
けれどイハンがずっと待っていた言葉だった。
「サッカー選手としてじゃなくて。」
リウが笑った。
「ただ、イハンっていう人が好きだ。」
イハンはしばらく何も言えなかった。
それからうつむいて笑った。
「なんで笑うの?」
「うれしくてです。」
「……。」
「俺も言うことあったじゃないですか。」
「うん。」
イハンはリウを見た。
「俺も先輩のこと好きです。」
リウはしばらく言葉を失った。
「本当?」
「はい。」
「いつから?」
イハンは少し考えてから笑った。
「先輩がしょっちゅう俺にチームプレーを教えてくれた頃からだと思います。」
「それっていつだ?」
「分かりません。ただ、いつの間にか先輩が見えないと気になって、先輩が誰かと一緒だと嫌で。」
イハンは小さく笑った。
「それに先輩が俺に『よくやった』って言ってくれると、一日中うれしかったです。」
リウも笑った。
「俺と同じだな。」
「ですよね。」
二人はしばらく見つめ合った。
そしてリウが慎重に尋ねた。
「じゃあ……俺たち、どうする?」
イハンは笑った。
「どうするって何をですか?」
「もう俺たち……。」
リウは言葉を選んでから、結局こう言った。
「付き合うってことだよな?」
イハンの顔が赤くなった。
「先輩が先に言ったじゃないですか。」
「それで?」
「じゃあ、責任取ってください。」
リウが笑った。
「分かった。」
「それと、もう一つ。」
「何だ?」
「俺、別の学校には行きません。」
リウの表情が明るくなった。
「本当か?」
「はい。」
「なんで?」
イハンは少しグラウンドを見た。
そしてリウを見て言った。
「ここが好きなんです。」
「サッカーのせいで?」
「違います。」
イハンは笑った。
「先輩がいるから。」
リウはしばらく黙ってイハンを見つめていた。
それからイハンの頭を軽く撫でた。
「じゃあ俺も卒業するまで、ちゃんとしないとな。」
「卒業したらどうするんですか?」
「その時も一緒にいればいい。」
「どうやって?」
「サッカーじゃなくても。」
リウが笑った。
「どこへでも一緒に行けばいいだろ。」
イハンも笑った。
「じゃあ約束。」
「また約束か?」
「今度は長く続く約束です。」
リウが手を差し出した。
イハンがその手を取った。
しばらくして。
大会が終わって学校に戻ったあとも、二人の関係は大きくは変わらなかった。
グラウンドでは、相変わらず主将とエースだった。
リウは相変わらずチームメイトに小言を言い、イハンは相変わらず自信満々にボールを運んでいた。
だが、昔と違うことがひとつあった。
練習が終わったあと。
「先輩。」
「ん?」
「今日はどこ行くんですか?」
「なんで?」
「サッカーじゃなくて会うって決めたじゃないですか。」
リウが笑った。
「今日はどこに行きたい?」
イハンは少し考えた。
「前に行った本屋、もう一回行きましょう。」
「また本を買うのか?」
「いいえ。」
「じゃあ?」
イハンはリウを見た。
「ただ先輩と歩きたくて。」
リウが笑った。
「行こう。」
二人は並んでグラウンドを出た。
最初はサッカーがきっかけで出会い、
サッカーをきっかけに互いを意識し始めた。
だが最後には、サッカーがなくても互いを探すようになった。
試合が終われば別れる関係ではなく、
笛が鳴った後も、ずっと一緒に歩きたい人。
それがイハンにとってのリウであり、
リウにとってのイハンだった。
そして二人の物語は、
最後の笛が鳴った後も続いていた。
