
バスが競技場に着いたときには、朝からグラウンドの周りが選手たちでごった返していた。
イハンはバスを降りるなり競技場を見上げた。
思ったより大きかった。
観客席もあって、ほかの学校の選手たちも一人二人と体をほぐしていた。
リウが横に近づいてきた。
「緊張してる?」
「少しだけ。」
「お前も緊張するんだな。」
「私だって人間ですから。」
リウが笑った。
「ならよかった。」
「何がですか?」
「あまりにも平気そうだったから、かえって心配してたんだ。」
イハンがリウを見た。
「先輩は緊張しないんですか?」
「俺?」
リウがしばらく競技場を見た。
「俺も緊張してるよ。」
「でも、どうして出てないんですか?」
「主将が緊張してるって言ったら、みんなもっと緊張するだろ。」
「じゃあ、私には言ってもいいですね。」
リウがイハンを見た。
「お前になら大丈夫だ。」
イハンが小さく笑った。
「じゃあ今日は、私が先輩を緊張させないようにします。」
「どうやって?」
「私が点を取ります。」
「それはお前を緊張させないってことだろ。」
「先輩も喜ぶじゃないですか。」
「……それはそうだな。」
二人は笑いながら競技場へ入っていった。
最初の試合は思ったより荒かった。
相手チームはイハンを徹底的に封じてきた。
ボールを持てば二人が寄せ、突破しようとすればもう一人がついてきた。
前半15分。
イハンがボールを持った瞬間、三人に囲まれた。
「イハン!」
リウの声が聞こえた。
イハンはとっさに、リウのいる方へボールを出した。
リウが受け止めた。
そしてまたイハンへパスした。
今度は守備が片側に寄った隙ができた。
イハンがそのまま突破した。
「走れ!」
リウが前へ駆け出した。
イハンは一瞬迷った。
自分でシュートすることもできた。
でも、リウのほうがもっといい位置にいた。
イハンはボールを流した。
リウがシュートした。
ゴール。
「ナイス!」
選手たちが駆け寄ってきた。
リウがイハンの肩をつかんだ。
「今のパスよかった。」
「私が点を取れたかもしれません。」
「それでも俺に出しただろ。」
「先輩のほうがうまく決められそうだったので。」
「それがチームプレーだ。」
イハンが笑った。
「わかってます。」
リウがしばらくイハンを見た。
「ほんとにかなり変わったな。」
「何がですか?」
「お前。」
「いい意味でですか?」
「ああ。」
「じゃあ褒め言葉ですね。」
「かなりの褒め言葉だ。」
後半。
試合のスコアは1対1だった。
相手チームの攻撃が続いていた。
リウは守備まで下がり、チームメイトたちを指示した。
「左を塞げ!」
「もう一人つけ!」
「イハン、後ろ!」
イハンは慌てて振り向いた。
相手選手がゴール前へ突破してきていた。
イハンが走ろうとした瞬間、リウが先に体を投げ出した。
鋭いタックルだった。
ボールは外へ弾かれたが、リウはそのまま倒れた。
「先輩!」
イハンが駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
リウが起き上がろうとした。
「大丈夫だ。」
だが、起き上がろうとした瞬間、顔がこわばった。
「……ちょっと待て。」
イハンがリウの腕をつかんだ。
「足首ですか?」
「少し捻ったみたいだ。」
「じゃあ下がってください。」
「まだ時間はある。」
「先輩。」
「大丈夫だ。走れる。」
イハンの表情がこわばった。
「走れないじゃないですか。」
「走れる。」
「先輩がさっき私に何て言いました?」
リウがイハンを見た。
「怪我したら下がれって言っただろ。」
「それはお前が怪我したときの話だ。」
「同じです。」
イハンの声が震えた。
「先輩の体だって同じです。」
リウはしばらく黙っていた。
「イハン。」
「だめです。」
「……。」
「今度は私がやります。」
イハンがリウを見た。
「先輩が私にしてくれたみたいに。」
結局、リウはうなずいた。
「わかった。」
リウが交代したあと。
イハンは試合中ずっと、リウのいるベンチを見ていた。
コーチが叫んだ。
「イハン! 集中しろ!」
「はい!」
試合終了まであと5分。
スコアは1対1。
イハンにボールが来た。
相手の守備が二人ついた。
イハンは一人をかわし、さらにもう一人も抜いた。
そしてゴール前まで入った。
シュート。
ゴール。
2対1。
競技場が大きく沸いた。
でも、イハンはセレモニーもしなかった。
すぐにベンチを見た。
リウが笑って拍手していた。
イハンもそこでようやく笑った。
試合が終わったあと。
選手たちは次の試合の準備へ移動し、リウはベンチに残って足首を確認していた。
イハンが近づいた。
「先輩。」
「来たか?」
「なんで笑ってるんですか?」
「お前がゴール決めたじゃないか。」
「先輩が怪我したのに、私が笑えるわけないじゃないですか。」
「それでも勝っただろ。」
イハンはリウの前に座った。
「足首見せてください。」
「大丈夫だ。」
「見せてください。」
「イハン。」
「早く。」
リウは結局、足首を差し出した。
イハンは慎重に包帯を確認した。
「かなり痛いですか?」
「少し。」
「嘘。」
「本当に少しだ。」
「……。」
イハンは何も言わず、包帯をもう一度整えた。
リウが静かに言った。
「さっき俺が怪我したとき、かなり驚いただろ。」
「はい。」
「ごめん。」
「なんで先輩が謝るんですか。」
「心配させた。」
イハンはしばらくリウを見つめた。
「私、先輩が怪我するの嫌です。」
リウの表情がこわばった。
「……。」
「サッカーだからとか、そういうことじゃないです。」
イハンはゆっくり言った。
「先輩が怪我したら、ただ嫌なんです。」
リウはしばらく返事ができなかった。
それから慎重に尋ねた。
「俺のせいで試合に集中できなかったんじゃないか?」
「少しだけです。」
「悪いな。」
「だからゴールを決めたんです。」
リウが笑った。
「それは認める。」
イハンもつられて笑った。
するとリウが静かに言った。
「俺も、お前が怪我したときは同じだった。」
「……。」
「試合どころか、何も見えなかったよ。」
イハンがリウを見た。
「じゃあ、これでわかりましたね?」
「何が?」
「なんで私が先輩を心配するのか。」
リウは答えの代わりに、イハンの頭をそっと撫でた。
「わかった。」
しばらくして、リウが付け加えた。
「だから、俺にも一つ約束してくれ。」
「何ですか?」
「お前が危ない状況なら、絶対にまず俺のことを考えるんじゃなくて、自分の体を先に守れ。」
「嫌です。」
「なんで。」
「先輩だってそうしないじゃないですか。」
リウが笑った。
「じゃあ、俺たち二人とも直さないとな。」
「はい。」
イハンは立ち上がった。
「次の試合まであまり時間がありません。」
「うん。」
「だから先輩はここで休んでてください。」
「お前は?」
「私は勝ってきます。」
リウが笑った。
「ああ。待ってる。」
イハンは数歩進んでから振り返った。
「先輩。」
「ん?」
「今度は本当に約束です。」
「何を?」
「私が戻ってくるまで、ここにいてください。」
リウはしばらくイハンを見てからうなずいた。
「約束だ。」
イハンはそこでようやく、また競技場へ向かった。
リウはその後ろ姿を見ながら、小さく笑った。
そして初めて思った。
イハンが自分を心配するのと同じくらい、自分もイハンを失いたくないのだと。
大会はまだ終わっていなかった。
でも、二人のあいだの気持ちは、もう以前とは違っていた。
