
視界をいっぱいに満たしていた漆黒の闇が、ゆっくりと消えていった。
スビンは朦朧とした意識の中で、最初に妙な感覚を覚えた。
背中が触れている場所は、湿った冷たい土の床ではなかった。肌を擦るのは、滑るように柔らかなシルクの心地よさで、身体を押さえる布団は羽のように軽いのに、ぬくもりがあった。
『私が……生きているのか?』
スビンは鈍く響く頭痛をこらえながら、ゆっくり目を開けた。
真っ先に目に入ったのは、高い天井に下がる豪華なシャンデリアと、ほのかな蝋燭の光に照らされた重厚なゴシック様式の内装だった。巨大な窓の外には、月光すら届かない暗い森が、はるか彼方まで広がっていた。
言葉で聞いていた吸血鬼の屋敷の内部だった。
「……うっ。」
スビンは驚いて慌てて上体を起こそうとした。だが身体に力が入らない。
まるで麻酔薬でも打たれたかのように、手足が鈍く震えた。
そこでようやくスビンは、自分の服装を確かめた。
土ぼこりで汚れていたハンターの制服はどこにもなく、ゆったりした薄手の白いシャツを一枚羽織っているだけだった。
「少しは意識が戻ったか?」
低く気だるげな声が静寂を破った。
スビンはびくりとし、声のした方へ振り向いた。
ベッドの横、ベルベットのソファに深く沈み込むように座ったヨンジュンが、ワイングラスを手にスビンを見つめていた。グラスに入った赤い液体が酒なのか、誰かの血なのかは分からなかったが、それ以上にスビンを圧倒したのはヨンジュンの眼差しだった。
月光の下で見るより、はるかに濃く透き通った赤い瞳。ヨンジュンは長い脚を組み、まるで珍しい観賞用の鳥でも眺めるように、スビンをじろじろと見ていた。
「どこまで……どこまで手を出したんですか。」
スビンは布団をあごの下まで引き上げ、声を張り上げようとした。
だが本能的な恐怖のせいで、声はみっともなく掠れて出た。
「手?」
ヨンジュンはふっと笑って立ち上がった。ヨンジュンが一歩ずつベッドに近づくたび、屋敷を支配する心地よい薔薇の香りと冷たい空気が、スビンの息の根を締めつけてきた。
「汚れた服を脱がせて洗ってやったことを『手を出した』と言われると、ちょっと傷つくな。」
「……何を言ってるんですか?」
「血の匂いより土ぼこりの匂いのほうがきつかったからな。俺の屋敷に汚いものは持ち込みたくないだろ。」
ヨンジュンはあっという間にベッドの端に腰掛けた。スビンは這うように後ずさってヘッドボードにぴったり張りついたが、ヨンジュンの長い指がスビンの顎先を軽くつかむ方が早かった。
「んっ…」
指先が触れた顎の下から、じわじわと冷たいぬくもりが染み込んでいった。
ヨンジュンは顎を少し持ち上げ、スビンの顔を注意深く見つめた。見た目は自分より体格も骨格もがっしりした人間の男なのに、真っ青になった顔や滑らかなうなじはあまりにも無害で、滑稽なほどだった。
とりわけ、ヨンジュンの手が触れた途端にスビンの白い耳が夕焼けみたいに赤らんでいく様子は、何度見ても飽きなかった。
「ハンター一族の『失敗作』、チェ・スビン。」
ヨンジュンの口から自分の名前が出た瞬間、スビンの瞳孔が地震でも起きたみたいに揺れた。
「どうして……俺の名前を……」
「お前の服に付いてた銀の印に、ちゃんと親切に書いてあったぞ。チェ家の烙印と一緒にな。」
ヨンジュンの口元が弧を描き、残酷に吊り上がった。
「気になって少し人を動かしたんだ。あれだけ大層なハンター一族から自分の足で出ていったスビンが消えたのに、一族がどう動くのかをな。」
「……」
「面白いことに、誰もお前を探していなかった。あの広い屋敷のどこでも、お前の名前を呼ぶ声はない。」
スビンの心臓がどんと落ちた。すでに知っていた事実だった。
家の中で自分はいてもいなくても同じ存在で、むしろ消えてくれたほうが一族の名誉のためになるくらいだと。
だがその残酷な真実を、自分を閉じ込めた吸血鬼の口から直接聞かされると、胸の奥深くがちくりと痛んだ。
スビンが唇を噛みしめてうつむくと、ヨンジュンは満足げにスビンの頬をゆっくり撫でた。
「捨てられたんだよ、お前は。」
「……やめてください。」
「誰にも探されない子なら、俺がもらっても文句を言うやつはいないだろ。」
ヨンジュンはスビンの耳元へ身をかがめた。触れそうで触れない距離から漂う甘く冷たい吐息に、スビンの身体は硬くこわばった。ヨンジュンはスビンのうなじに唇をそっと寄せ、低くつぶやいた。
「逃げるなんて考えるなよ、スビン。」
「……」
「この森を出た瞬間、お前は俺の下にいる下級どもに牙でズタズタに引き裂かれて死ぬんだから。」
ヨンジュンの優しいふりをした声の奥に、逆らえない捕食者の圧がずしりと沈んでいた。
ヨンジュンは赤くなったスビンの耳たぶを、かじるように軽くなだめたあと、立ち上がった。
「休め。明日からは忙しくなるからな。」
ヨンジュンがドアを開けて出ていくと、ずしりと重い木の扉が ドン と音を立てて閉まった。閂のかかる重い音が部屋いっぱいに響き渡った。
完璧な監禁だった。
一人きりになったスビンは、緊張が解けたようにベッドの上へ崩れ落ちた。一族から完全に見捨てられた絶望と、自分を縛るヨンジュンの冷たくも優しい手つきへの、正体の知れない恐怖。
スビンは布団を強く握りしめ、冷たい夜気の中へ静かに息を吐いた。
