冬の初恋

01. 初雪

「アイスアメリカーノ2杯、できました。」

 

 

完成したドリンクをピックアップ台に置いたとたん、新しい注文が入った。期末を目前に控えた大学前のカフェは、試験勉強に来た学生たちでごった返していて、午後じゅう押し寄せる注文で少し座る暇もなかった。

 

22歳。大学に入れば少しは余裕ができると思っていたのに、高校生の頃とあまり変わらない生活だった。午前は授業を受け、午後はアルバイトをし、仕事が終わった後はたまった課題をこなして、明け方に眠る。今日も同じだった。ふう、と一息つきながら髪をかき上げた、そのとき、耳に刺さる音が聞こえてきた。

 

カシャッ!

 

シャッター音に顔を上げると、窓際に座る客たちが一様に高揚した顔で外を見ているのが目に入った。外の景色に向かって腕を伸ばしたまま、自撮りをする人もいれば、外を撮っている人もいた。

 

あ、雪だ。全然知らなかった。全面ガラスの窓の向こうで、白い雪片が落ちていた。今年初めての雪だった。私は少しだけ外を眺めてから、また注文をさばいた。感傷に浸っている暇なんてなかった。客は多いし、たまった注文も山ほどあった。

 

日が暮れ始めて客足がまばらになったころ、数時間もしないうちにいっぱいになったゴミ袋を持ってカフェの裏口へ向かう。ドアを開けると冷たい風が顔を打った。地面には思ったよりかなり雪が積もっていた。建物の裏に止めてある自転車にも、塀の上にも白い雪が降り積もっていた。

 

私は大きなゴミ袋をプラスチックの容器の中に入れておき、早足で店のドアの前へ戻った。中に入ろうとしてドアノブに手をかけ、回しかけたところで、ふと浮かんだ考えに手を下ろし、しばらくその場に立っていた。雪片が髪と肩の上に落ち、冷たい空気に鼻先がすぐ冷たくなった。

 

あのときも、こんなだった。やけに寒かった冬。あの日も私は雪が降っていると知らず、誰かのカメラのシャッター音を聞いてようやく窓の外を見たのだった。そのとき初めて雪が降っていると知ったのも、今日と同じだった。

 

5年前、17歳の冬だった。

 

 

*

 

 

 

期末試験が終わったあとも、私の日常にはこれといって変化はなかった。友達たちは試験が終わったとカラオケだ映画館だと遊び回るのに忙しかったけれど、私は高校2年生になる前に終わらせなければならない問題集のほうが気になっていた。

 

その日もいつも通り図書館へ行ったが、閲覧室に空きがなく、1階のラウンジに席を取った。人が行き来して会話を交わす場所なので少し騒がしかったが、イヤホンをつけて数学の問題集を開くと、すぐに周りの音は気にならなくなった。ちょうど問題を解いているところだった。

 

 

カシャッ。

 

 

顔を上げると、少し離れた場所に男子生徒がひとり、カメラを持って立っていた。レンズはどう見ても私のほうを向いていた。私は一瞬で顔をしかめ、不快そうな顔をしながらそっちへ近づいた。

 

 

「あの、今私を撮った?」

 

 

男子生徒はカメラを下ろして、少し戸惑った顔で私を見た。

 

 

「いや、外を撮ってただけだけど」

「写真、見せて」

 

 

そいつが差し出したカメラの画面には、雪の降る図書館前の景色が写っていた。ああ、外を撮ってたのか。でもガラス窓に反射したラウンジの中もかすかに写っていて、よく見ると問題集をのぞき込む私の横顔まで見えた。ここを切ってほしいけど、それは無理だろうな。

 

 

「私、写ってるじゃん」

「あ、本当だ。ごめん」

「消してくれる?」

 

 

男子生徒は素直に写真を削除してから、カメラをしまった。無用な誤解だったと分かると、少し気まずくなった。うなじをなでてからまた席に戻り、イヤホンをつけようとして、窓の外へ視線を向けた。

 

そのとき初めて雪が降っていると気づいた。図書館前の木々と花壇はいつのまにか白く変わっていて、風に乗って大きな雪片が舞っていた。人々がひとり、またひとりと窓際に集まり、スマートフォンを取り出して写真を撮り始めた。

 

初雪だった。

私は問題集の横に伏せておいたスマートフォンを手に取った。友達のいるグループチャットも、雪の話でいっぱいだった。初雪が降ると知らせるメッセージは、もう1時間も前に届いていた。こんなにたくさん、こんなに長く降っていたのに気づかなかったなんて。感性が枯れてるのかな。

 

カカオトークと窓の外をしばらく眺めてから、また問題集を開いた。まあ、いいじゃないか。これが本来の私なんだし。もともと殺風景な人間なんだ。けれど、集中はうまくできなかった。

 

意味もなく問題集をペンでトントンと叩いていたが、結局席を立った。今日はどうもそわそわして、勉強が手につかない。体調管理を間違えたわけでもないのに。午後6時を少し過ぎて図書館を出た。雪は止んでいたけれど、雲のせいか夜のように暗かった。歩道の端にはまだ白く積もった雪が残っていた。バス停へ向かって歩いていた私は、道端にしゃがみ込んでいる男の子を見つけて歩みを遅めた。

 

さっきの子だった。

今度はカメラを地面すれすれに下ろして、何かを撮っていた。横を通り過ぎながらちらりと覗くと、雪が解けてできた小さな水たまりだった。その子が撮った写真を確認している間、私も思わずカメラの画面に目がいった。水たまりに映った街灯と木の枝が画面いっぱいに広がっていた。さっきまで私の目にはただの汚れた泥水にしか見えなかったのに、写真で見るとかなりそれらしかった。

 

 

「あ、さっき図書館で会った人だよね」

 

 

気配を感じたのか、その子は私のほうへ顔を向けて見上げ、声をかけてきた。私はうなずいてカメラを指さした。

 

 

「これ、君が撮ったの?」

「うん。なんで?」

「いや、ただ。上手だなって」

 

 

その子は画面を一度見下ろしてから、カメラを私のほうへ向けてくれた。

 

 

「ほかのも見る?」

 

 

私はあっけにとられたまま、その子の横にしゃがみ込んだ。カメラには雪の写真ばかりだった。雪の積もったベンチ、木に引っかかった手袋、足跡が乱れて残る路地まで。普段ならそのまま通り過ぎていた景色だったのに、不思議と写真で見ると一つ一つが目に留まった。

何枚かさらにめくってみたあと、突然私にカメラを差し出した。

 

 

「一回撮ってみて」

「私が?」

「うん。ここから撮ればいいよ」

 

 

私はおそるおそるカメラを受け取った。あの子が撮っていたように水たまりにレンズを向けたけれど、画面には泥水と私の靴しかほとんど映らなかった。

 

 

「変だな。君が撮ったのと全然違う」

「もう少し下に下げてみて。街灯が水に映るように」

 

 

その子の言葉どおりカメラを動かすと、画面の端に街灯が現れた。私は体をもう少し屈めて構図を整え、シャッターを押した。

 

カシャッ。

 

画面を確認すると、さっきよりずっとそれらしい写真が撮れていた。

 

 

「お、できた!」

 

私も思わず笑った。その子も横で写真を確認して、満足そうにうなずいた。ちょうどバスが停留所に入ってきた。私は急いでカメラを返し、バッグを持った。

 

 

「私、バス来た。ありがとう!」

「うん、じゃあね」

 

 

バスに乗って窓際の席に座ると、男子生徒がまたカメラを手にしているのが見えた。雪を浴びながらしゃがんでいたその子が少しおかしくて、私も思わず笑った。

 

バスが発車し、私はバッグから英単語帳を取り出した。いつもなら家に着くまで単語を覚えていただろうけど、その日は数ページも進めないうちに本を閉じた。窓の外には雪に覆われた通りが流れていた。街灯の下に長く伸びた木の影、白い雪の上に残された足跡、車窓に付いた水滴まで。

 

私はスマートフォンを取り出して、窓の外を1枚撮ってみた。写真はひどいものだった。バスが動いているせいでピントも合わず、窓に映った私の顔まで重なって見えた。それでも消さなかった。ただ、今日は少し違う冬みたいだった。

 


 

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