「今日、少しだけ時間ありますか?」
奕翔から届いたメッセージ。
私はすぐに「あるよ」と返した。
数分後、ビデオ通話の着信。

画面が映ると、奕翔はカメラを自分ではなく街へ向けていた。
「今日は特別な場所を案内します。」
「また秘密の場所?」
「そうです。」
少し得意げな声に、思わず笑う。
石畳の坂道。
古いレンガ造りの建物。
軒先で昼寝をする猫。

「ここ、祖父たちが授業のあとによく歩いていたそうです。」
「そんな話まで知ってるんだ。」
「祖父が最近、よく話してくれるようになったんです。」
少し嬉しそうな横顔。
「『日本の親友の孫に会えた』って。」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
「実は……。」
奕翔が立ち止まる。
「祖父が、一冊の日記を見つけたんです。」
「日記?」
「あなたのおじいさんのことが、たくさん書いてありました。」
「えっ……!」
思わず画面に近づく。
「でも。」
奕翔は困ったように笑った。
「祖父が『これは直接渡したい』って。」
「直接……?」
「はい。」
その意味を考えた瞬間、鼓動が速くなる。
「だから。」
奕翔は少し照れながら言った。
「また台湾に来てくれませんか。」
通話が終わったあとも、その言葉が頭から離れない。
“また台湾に来てほしい。”
祖父のため?
それとも……。
考えても答えは出ない。
私は机の上に飾った水彩画を見つめた。
ガジュマルの木の下。
並んで座る、小さな二人の後ろ姿。
気づけば、指先でそっとなぞっていた。
翌朝。
会社で仕事をしていると、スマホが震える。
奕翔から一枚の写真。
そこには、美術室の窓から差し込む朝日が写っていた。

メッセージは一行だけ。
「今日は、この景色を一緒に見たかったです。」
思わず頬が熱くなる。
私は窓の外の青空を撮って返信した。

「日本もいい天気だよ。」
すぐに既読がつく。
数秒後。
「同じ空ですね。」
たった六文字。
なのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。
その夜。
祖父のスケッチブックを開く。
最後の白紙だったページ。
そこに私は、今日届いた朝日の景色を描き始めた。

描きながら、ふと思う。
“また台湾に行きたい。”
祖父のためだけじゃない。
今はもう――
会いたい人がいるから。
ページの隅に、小さく日付を書き添える。
そして、その下に。
『約束まで、あと少し。』
