
ヨンジュンの冷ややかな息が唇に触れそうなほど近づいた瞬間、スビンは目を閉じて激しく顔を背けた。
自分がハンター一族の失敗作であろうと、捕食者の優しいおもちゃになって完全に壊れたくはなかった。
ヨンジュンのあごの輪郭に力が入るのが感じられた。
ためらっていたヨンジュンの瞳に一瞬、倦んだ怒りがよぎったかと思うと、やがて手首を掴んでいた力がゆっくりと緩んだ。
「...拗ねるにもほどがあると、可愛いものなんだけど。」
ヨンジュンがふっと笑って席を立った。
彼は何事もなかったかのように指先についた赤い痕を舌でそっと舐め取り、整った表情に戻った。
スビンは慌てて緩んだシャツの襟を整え、浅い息を整えた。
その時だった。
ドン-!
屋敷全体が大きく揺れ、重々しい振動が響いた。
天井に掛かったシャンデリアのクリスタル装飾が鋭い音を立てて激しく揺れ、廊下の向こうからは異様な悲鳴と何かが壊れる音が押し寄せてきた。
「何...!」
スビンが驚いてベッドから起き上がった。
ヨンジュンの眉間が一気に寄った。
昨夜スビンに向けて見せていた倦んだ余裕のある態度はどこにもなく、夜の支配者らしい冷ややかな気配が全身から放たれていた。
ドカン!
扉の外の廊下側の壁が崩れ落ち、赤い目をした下級ヴァンパイアが二人、弾き飛ばされてきた。
彼らの首はすでに妙な方向へ折れていた。
「侵入者です、ヨンジュン様!」
屋敷の執事が血だらけのまま廊下で叫んだ。
「3区域の反乱派どもです! ヨンジュン様が人間のハンターを屋敷に入れたという噂が広まるやいなや、規律を破ったと言いながら下っ端どもを率いて結界を壊し、押し入ってきました!」
スビンの心臓がどくんと落ちた。
自分という存在がこの屋敷の均衡を壊し、侵入の口実になったという事実に、指先が冷たくなった。
「よくもまあ、俺の屋敷で好き勝手暴れてくれたな。」
ヨンジュンが低く呟いた。声に宿る圧倒的な魔力で、部屋の空気が凍りつくようだった。ヨンジュンはためらいなく廊下へ出ようとしたが、ふと振り返り、ベッド脇で震えているスビンを見た。
「ここでじっとしていろ。扉を閉め直してくる...」
「ギャアアッ!」
ヨンジュンの言葉が終わるより先に、血のような唾を垂らす異様な姿の下級ヴァンパイアが三人、壊れた壁を越えて部屋へなだれ込んできた。
彼らの牙は未精製の血臭を漂わせ、視線は一瞬で部屋の中で唯一の人間であるスビンへと集まった。
「人間だ... 純血の血の匂いが混じった人間の血...!」
異様なうなり声とともに、下級ヴァンパイアの一体がスビンめがけて猛然と飛びかかった。
「スビン!」
ヨンジュンの瞳が一瞬で真紅にきらめいた。
残像すら残さない速さで動いたヨンジュンがスビンの前に立ちはだかり、下級ヴァンパイアの首筋をその場でへし折った。 メキッ-という音とともに、怪物は灰となって宙に散った。
だが残る二体が同時にヨンジュンの両脇を狙って襲いかかった。
いくら最上位の純血とはいえ、何の武器もなく後ろに立つスビンを守りながら戦うには、距離が近すぎた。
一体の鋭い爪がヨンジュンの肩を深く切り裂いて通り過ぎた。
ザシュッ!
ヨンジュンの濃紺のガウンが裂け、黒ずんだ赤い血が噴き出した。
「ヨンジュンさん!」
スビンは我知らず叫んでいた。
ヴァンパイアは人間の敵だ。あれが死ねば、自分は監禁から解放されて逃げられる。だが、ヨンジュンが自分を庇って傷を負ったという事実が、スビンの頭を強く揺さぶった。
『逃げなきゃ。いや、でも...!』
一族から恥だと切り捨てられた身ではあっても、スビンの体には今もハンターの血が流れていた。
スビンの視線が、床に落ちていた装飾用の銀の燭台に触れた。
体は鈍く、反応も悪いとしても、ハンターとしての基礎訓練は骨に刻み込まれていた。
スビンはためらいを振り払い、重い銀の燭台を掴み上げた。そしてヨンジュンの死角に飛び込もうとする最後の下級ヴァンパイアの心臓めがけて、全力で燭台を突き出した。
ブスッ-!
銀に触れたヴァンパイアの皮膚が焼けただれ、悲鳴とともに煙へと変わっていった。
スビンの手は細かく震えていたが、燭台を握る力だけは緩めなかった。
ヨンジュンが残りの一体をいとも簡単に仕留めたあと、ゆっくりと振り返った。
荒く息を吐きながら銀の燭台を握って立つスビン。
ハンター一族の失敗作と呼ばれていた少年の瞳は、これまでで最も鋭く輝いていた。
息が切れて肩を上下させ、恐怖に震えていたが、スビンはヨンジュンの背中を守り切ったのだ。
ヨンジュンは肩から血を流しながらも、取り憑かれたようにスビンを見つめ、低く笑いをこぼした。
「...は。」
血の匂いと灰が立ちこめる部屋で、ヨンジュンは肩の傷を押さえたままスビンに近づいた。
そして、スビンが握っていた燭台をやさしく包むように下ろさせ、スビンの額に自分の額をすり寄せた。
「おまえは本当に... 毎回、俺を驚かせるな、チェ・スビン。」
血まみれのヨンジュンの赤い目が、今度は捕食者の欲望ではなく、正体の知れない奇妙な絆で揺れていた。
